3
地中海にちょこりと突き出した半島と、その周辺に従えた孤島たちの分も合わせた総面積でも、どうかすると大国のちょっとした州や郡程度の広さしかない、それはそれは小さな国。一応は歴史の長い王国で、欧州と砂漠の境目という微妙な位置にあるというのに、周辺諸国や時代時代のおいおいにそれぞれ台頭したろう軍事勢力からの干渉も受けぬまま、その骨組みを揺らがせることなく存続し続けたは、決して奇跡や運の良さからだけのことではなくて。今現在ほどの通信機能なんてもの、まだまだ全然発達していなかった時代から、国の命運を賭けるほどの駆け引きで、最も物を言うのは結局のところ“情報力”をどう生かすかだと、かなり早期から気づいて駆使して来た国だったからこその強かさの積み重ね。表向きには のほほんと凡庸な国情のままに、その実、施政のトップ、王室の首脳陣の皆様に限っては、油断も隙もあったもんじゃない切れ者揃いの恐ろしい国だというのが正確な把握…だと、重々肝に命じていた筈のゾロだったのだが、
「ロビン〜〜〜っvv」
にゃ〜〜っvvという大甘えな擬音を、丸ゴシック体のブロックにしてその背に負ってるように見えたほど。自分がお守りしている無邪気な王子様が、それはそれは無防備・無造作に“お久し振りだよ〜いvv”と懐いて飛びついたその相手。オイルコーティングされた黒に近い濃紫のスプリングコートと、名のあるブランドの一点ものだろう、タイトスカートにタックの利いた小粋なジャケットという、クールなデザインのスーツをまとった妙齢の女性であり。少しばかり長身で、絹糸のようにさらっさらの黒髪を、その肩に触れるか触れないほどの長さにシャープに揃え。ちょっぴり謎めきの香りもする微笑が似合う、どこかエキゾチックで、ついでにアルカイックな面差しの。それは凛然とした、背条も真っ直ぐの姿勢のいいお姉様。ご挨拶もそこそこに、突然名前を呼ばわって、そのまま抱き着いて来た男の子へも動じずに、
「いい子にしていた? ルフィ。」
それはそれはにこやかに、こんな親しげなお言葉が出るくらいだから。彼女の側からも勝手知ったる相手であるということだろうが、
“な…っ。”
護衛官殿の抱えた驚きの方は、ますますのこと膨らむばかり。なんで、そんな、まさか…いやいや。いくら何でも、ここの王家の方々が、実は情報収集とその操作に長けたつわもの揃いだからったって。だってルフィはまだまだ…言っちゃ悪いがお飾りぽい職務しかこなしてはおらずで。だからして、そんな怪しい人物と友好関係にあろう筈がない筈で。でもだが、実際にこうやって、犯罪者を匿ったり盗品を捌いたり事情(ワケ)あり人間の密入国の手筈を整えたりといった、非合法なことへと手を染めていた組織の一員と、こうまで親しげに接しているのも現実で。
“………いや、待てよ?”
そういえば。ゾロが身を隠していたところのちょっぴり遠い国から、この国へと連れ戻されて はや4年。それ以前の、しかもあんまり明るいものとは言えない記憶だ、もうもうすっかりと朦ろになっているものもあろう。自らの決断にて一悶着起こしたそのまま、この身を世間から隠すためにと飛び込んだ地下組織での顔見知りだなんて、そうそうあっさりと再会出来るものじゃあないし。そもそも明るいところで会うよな機会自体もなかったんだから、この女性が自分の覚えている怪しい女本人かどうかなんてそれこそ怪しいというもの。ちょっぴり似ているが“他人の空似”ってやつなのかも知れないと、何とか混乱を鎮める“答え”に辿り着く、沈着冷静が売りのスーパー傭兵“大剣豪”。だったなら、勝手なことながらとんでもない人違いしてすみませんねと、その分厚い胸中にて謝って、何とか…頑張って気を取り直したゾロではあったが、
「あんなあんなゾロ、この人は俺の叔母さんにあたる人でな。母ちゃんのずんと年の離れた妹さんなんだ。」
ゾロの胸中にて勃発した内的混乱、読むのには数秒かかったその葛藤も、実際のところは光の早さで自己完結したのとほぼ同時。にゃ〜〜vvっと懐いたそのすぐ直後に、肩越しに振り返って来た王子様がそんな風に彼女をこちらへとご紹介くださり、
「ニコ=ロビンっていって…あ、えっと。」
ふっと言葉を濁したルフィだったのは、ここでやっとこ、自分がどういう身分で、だってのに現在ただ今どういう現状に身を置いているのかを思い出したからだろう。王子様の母上の妹君ということは、そちら様だって少なからず“やんごとない”身分の方に違いなく。そんな人だということ、こんな町中の路上で公言したってもいいものかと、我に返れただけでも何とか大人になってくれてる証しかと、場合が場合じゃなかったなら、ゾロだとて某隋臣長並みに感動したかも知れなかったほどで。
「あ、あのあの、なあ。今から俺んチに帰らねぇか?」
おおう、そんな機転の利いた言いようが出来るようにまでなりましたか。いかにも視線を泳がせながらという、思い切り不審な取り繕いようだったけれども、あのね? こんな開けたところで素性を明かし合うよな会話はまずいと感じてのことだろう、彼なりの必死な工作ぶりが、拙さも含めてそりゃあもうもう可愛くて。そんなルフィへと、ほぼ同時にクススと吹き出してしまった大人のお二人。同じような感慨を持ったらしいお顔を見合わせ合い、初対面同士ながらも示し合わせて、
「じゃあ、ルフィが“お家”までを先導してくれる?」
お姉様に言われて、
「おうっ。任せとけいvv」
にっぱし笑っての自信満々、薄いお胸を叩いて見せたので。こちらはこっそり、腰の後ろ辺りにて小さな携帯電話を片手で素早く操作するゾロであり。王宮の御用門からここへ出て来たのに使った、一見地味なハイヤー風の公用車を手近な辻へと呼び招くため。迷子になった時に戻りやすいよう、原則として降りた地点で待ってるはずだが、それでは少々時間を食うので。向かっているこっちへ、そちらからも拾い上げに近づいて来ておくれというサインを送り、これで手配は万全だから。よ〜しと先頭に立って歩き出す王子様の、自信に満ちた誇らしげな背中を、一番後方から見やっていると。
「お久し振りだこと、砂漠の大剣豪さん。」
「…っ!」
はっとして見やったのは、すぐ前をゆく理知的な美女の細い肩。物慣れた話術にて、すぐ後ろにいたゾロにだけ聞こえるような囁きを送って来た彼女は、その肩越しに微かながらこちらへと向きつつ、その意味深な視線をゾロへと間違いなく向けており、
「な…。」
ということは、やはり。自分の思い違いとか他人の空似ではないということか? だがだが、それならそれで…
「まったくよ、ロビンときたら水臭いんだからな。」
不意打ちのようなタイミングにて、ルフィの呑気なお声がしたため。今すぐにでも訊きたいことが幾つか、どんと迫り上がって来かけてた胸元を、そこに下がってたネクタイごと、慌てて掴んだ護衛官殿であり。それを見澄ました彼女の側でも、
「………。」
無言のままながら、そぉっとかぶりを振って見せたから。ゾロが落ち着けないその話題に関して、今だけは触れるのやめときましょうということか。そんな二人の無言のやり取りなぞ、まるきり気づいていない様子のルフィ王子、
「俺も父ちゃんも、クリスマスとか新年のご挨拶とか、俺の誕生日とかにサ。是非とも遊びに来てくださいって、毎年毎年 ごしょーたいしてたのに。」
歩きながら、くるりと振り向いて来て、
「この何年かのずっとずっと、手紙やメールでのお返事だけだったろ?」
ああそうか。だから俺、面識ないままだったんだと。だから、こんな間近に用心のいる存在がいることに、全然全く気がつかないままだったんだなぁ…だなんて。混乱してのことでしょか。ゾロさん、何だか妙な納得をしております。
「確か、国の外に出てのお仕事してんだよな。それが忙しかったんか?」
小さな子供が屈託なく、少々不躾けに物を訊いてるような。そんな口調で、どうかすると拗ねてでもいるかのような物言いをするルフィだったが、それが通用する間柄だからこその甘えだというのはゾロにも判る。判るからこそ、ますますの混乱。
“…いやいや、だからだな。”
何で、どうして。この女がルフィと知り合いなんだろうか。それも…此処までの会話から得られたことを手早くまとめたれば。単なる顔見知りや知己なんてレベルじゃあない、何と、彼の生母の妹さんだというじゃあないか。
“そんな嘘を吹き込んで、ルフィを欺いて接近していたって可能性もなくはないが。”
これがこのルフィでないのなら、そんな手管だって弄すことが出来た彼女だったかもしれないが。それはないなと、思ったすぐという間合いにて打ち消せたゾロだ。生母の身内ならどんなに遠縁でも確認のしようはあるのだし、父上も折々のご挨拶やらご招待の声をかけていたというのなら、そういう存在がいることもホントだろう。それからそれから、此処が最も重要なポイントで。あの、ルフィへぞっこんな父上と兄上が、そうそう簡単に怪しい人物をこの王子様へと近づけさせる筈がないからで。
“最後のはあまりに情けない立証だがな。”
ホンマにね。(苦笑) 依然として混乱を抱えたままにて。それでも一応は警戒も怠らず。王室関係者二人の後から、出来るだけ気配を殺すように努めて、その歩みを進めていたゾロだったが、
――― 不意にその先頭さんが立ち止まって。
角度によっては光を吸い込み、琥珀の透明度で透いて見せるのが何ともきれいな、王子様の大きな瞳が…ちょっぴりながら眇められていたのは、だが。駄々をこねてのものではないらしく、
「…母ちゃんが。ロビンの姉ちゃんが死んだ国には来たくなかったのか?」
そうと問われたロビン嬢の肩が、見るからに大きく上下したのがはっきりと見て取れて。それから…これは自惚れではなく、だが、間違いはないと断言出来た、彼女の素の顔で素の声で。
「そんな筈がないじゃないのっ。」
ともすれば詰め寄るような勢いで、ルフィの二の腕へ掴みかかった彼女であり。こちらもまた反射的に手が伸びていて。それはいけませんよレディとばかり、肩を押さえてしまったのだけれども。これがあの組織にいたのと同じ彼女とは思えぬほどに、判りやすい激情ぶりだったなと、後から思ったゾロでもあった。
←BACK/TOP/NEXT→***
*思えばロビンさんを中核に据えたお話って、あんまり書いてなかったような。
何でもさらりとこなせそうな人ですが、
無邪気な王子様へは、はてさて一体どう対処するのかな? |